2008年(春)版 (NEW)中国留学日記

2006年(回 想版)中国留学日記へ


2008年1月 5日〜5月18日

■ 5 月18日 (下学期結束)

  日本に帰国して以降このページのアッ プが遅れてし まった。今回の留学、帰りは北京から天津へ「和諧号」に乗る。「和諧号」は、まだ依然として天津駅の改修中のため、前回 と同じように臨時天津駅に到着す る。来 た時と同じように、北京 「趙公口長途客 運汽車站(長距離パスターミナル)」から高速バスで塘沽まで移動しても良かったのだが、今回は乗りたいものが有ったからだ。それはうわさの新交通システム が出来たという話を聞いたからだ。

  天津新港の最寄の駅「塘沽」までは、 ぜひ乗ってみた かった「津濱軽軌道」に初めて乗ってみ た。工事未完成のため、まだ天津駅からは乗れず「中山門站(駅)」からの発着のまま。高架軌道での見晴らしも良くて、乗り心地もまあまあ。30分ちょっと で「塘沽站(駅)」に到着する。この軽軌道の塘沽駅は列車の「塘沽站」とはかなり離れている。軽軌道の「塘沽站」は通称 「洋貨市場站」と呼ばれているよう で、すぐ近くには大きな「洋貨市場」「新洋市場」などの複数の輸入品市場や、商店街があり買い物には絶好の場所になっている。日本の「アメ横」の3倍ほど も有ろうか、大変広い輸入洋品市場だった。天津市内からは、815路,605路,805路などのバスでも来ることが出来 る。ここには天津市内や近隣からだ けでなく、遠くからもやって来る買い物客が多いとのこと。洋貨市場のバス停は605路,109路,805路,880路,936路などが止まる。宿泊は軽軌 道「塘沽站」で下車し、軽軌道下を「津塘公路」を戻るように歩き数分の「勝利賓館」だ。勝利賓館のバス停には、天津市内 からの815路の他に、880路や 936路も停車する。一泊180元だったので天津市内と比べれば格安である。

  翌日は「勝利賓館」からタクシーで新港(碼頭)まで行くか、新港(碼頭)行きの102路に乗り換えるため、「海河外灘公園」 か「金元宝東方広場(原東 大街)」まで880路か936路に乗って、乗り換えて行く方法がある。「燕京号」に乗れば三日後には神戸港に着き、今回の留学も終わる。再見!





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■ 5 月1日

   「期中測試」も終り「労働節」(メーデー)の四連休に入り、故郷に帰る学生、天津の北の「北載河」の海辺に出かける学生などさまざまで、北京の各汽車の 駅はどこも大混雑。河北省方面のキップを買いに行ったが、一時間待ちの列が続いていた。

  北京はこのところ三十度になるのではと思われるくらい、暑くむしむしした日が続くようになって来た。北京の春は短く駈足です ぐ夏になるというのが季節 の特徴だ。この厚さは耐えられないので、さっそく帰国の準備を始めた。
  先日、登山専用にと、日本では高くて買うのをまよっていた、アタックザック50リットルのを山仲間の中国人に教えてもらった 店で買った。その店のある 付近は、若い中国人、特に大学生に人気が急上昇中の登山用品の店が数多くある地域になっていた。本格的な登山用品のそろえた専門店が、「三環路」の南側の 「北太平橋」から「馬甸橋」に寄った道沿いあたりに数軒あつまっている。民族大から乗った場合には、新線の965路で「北太平橋 西」で下車し、三環路沿い を東に「北太平橋」を越えて歩くこと500mのあたりに点在している。「三夫」という店は大きい。都市の大学生の間には、ちょうど日本の1960年代に登 山 ブームが急上昇し、DOURAKUジィジィもその中の一人で、1960年に始めて登山を経験し、すぐ当時も今でも珍しい中学山岳部に入り活動開始したのが 始まり。その我々年代が年を経て、今老齢登山人口が日本で多いのもそのため。当時、登山を経験した後、仕事に明け暮れいったんや めていた連中が、また登山 を始めている。いま、日本の若者は楽な事を好み、登山などという「しんどい」苦痛なことは好まない。



  中国の若者は四十数年を経て、いま登山ブームが始まったばかり。隊列を組んで駅あたりを移動すると、驚いた目で物珍しいもの を観るかのように我々を見 る。「あの目」に記憶がある。日本の当時に我々の登山グループが数十キロの大きなザックを、大胆に担ぎ大道を歩く時に感じた、あの時の「あの目」とまった く同じなのだ。じつに当時、若者が感じたエネルギーを、いま、中国人大学生と共有しつつ、大きなザックを担ぎ北京の郊外を歩くの は、ほんとうに気分が良い ものだ。次回の中国留学の機会には「大学生登山ブーム」をテーマに書いていきたいと考えている。

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■ 4 月21日

  先週、晴れた日が久々にあり 「司馬台長城」に足をの ばしてみた 。前に登ったダムを挟んだ西側、「金山嶺長城」側を登ってみた。「金山嶺長城」から縦走して来る欧米人をかなり見かける が、それでも東 側とち がって人はかなり少ない。西側の最高位の楼閣まで登り折り返してくる。金山嶺からの縦走者はその楼閣に居る監視の係員につかまって、司馬台の入場キップを 買わせられる。ダムに掛かるさほど長くもない釣り橋にも、別料金の副通行券を払わされて、じつにガッチリしている。東側 に伸びる「司馬台長城」の峰峰が、 じつにきれいに見え雄 大である。ここは、万里の長城の中では最も標高が高いそうで、鋭い峰の突端をぬうように長城が延々と建造されている。一般のツアー観光客の観る、「八達嶺 長城」や「慕田峪長城」とは比べ物にならない雄大さだ。

  春季運動会も先週あった。各学院(日本の学部に相当する)の主に一年生が参加する。学校の競技場を使うので約一万人近い学生 が一堂で参加するには狭す ぎ、そのための対応のようだ。競技は初戦と決戦の部分で二日間にわたって行われる。第一日目の開会式には、経済,法律,等の文化系、音楽,舞踊,美術,等 の芸術系、各種民族文化系、工学,医学系、教育系,外国人だけの我々国際教育学院(学部)など、総合大学特有の、色とりどりの衣 装に身にまとった参加者の 行進から始まる。
   きょうからは、4日間4課目(総合,口語,閲読,听力)の学期中間のレベル測定試験「期中測試」がはじまった。

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■ 4 月6日

  北京 郊外のリゾート地(日本で言えば山梨の昇仙峡とブドウ狩りのような)に、峡谷美と山桃や山梨の満開の花を見に出かけた。北京では「八達嶺長城」と並び有名 な「慕 田峪長城」と、「青龍峡」とのちょうど中間に位置する「神堂峡」である。北京郊外の懐柔区の懐柔汽 車站(駅)から 「神堂峡風景区」へは 官地村」表側から入る か、更に奥(裏側)の 「五道河村」側から入るかのコースが とれる。 「五道河村」側まで 便利タ クシー (小面包車) に入ってもらった方が、少しは運賃は高くなるが帰りの 便利タクシー (小面包 車) はつかめ(打的)安い。今回は「五 道河村」側の民宿(農家院)に一泊するので、帰りの足は頼めるので神 堂峡 」の表側から入 る。
  
神堂峡地域は、 いま紅葉狩りならぬ、山桃や山梨の花の 花見の シーズンで、この「清明節」三連休は北京からのマイカーで、村の狭い道は大変な渋滞となっていた。 便利タクシーもなかなか動かない。道端では地元の農家で取れた果物や、木の実、乾燥きのこ、などを売る露天が、並んで日 本での光景とまったく同じだ。
  神堂峡の峡谷は入り口の「下官地村」 側から「五道河村」まで12キロほど続 く長い峡谷 で、奇岩が林立し山肌には紅色の山桃と白色の山梨の花が満開で、 ちょうど 見ごろの時期である。沢の日陰には所々がまだ氷沢になっている。木々の新緑も芽吹きはじめ大変きれいだった。あと半月もすれば一面が新緑で包まれるだろ う。いまは芽吹きの時期なので、よりはっきり林立する奇岩がはっきり見えて、奇岩を見るにはかえってよい時期だった のかもしれない。5時間ほどの行程で
「五道河村」の農家のやっている民宿(農家院)に着く。山間の静かな村で、3軒の農家が民宿を営んでいる所で、北京から ほ とんどがマイカーでやって来 る人達だ。車のナンバーを見ると天津や南の方からも来ている。風呂やシャワーは無いが食事と寝るだけ。部屋は小さいがベットだけのこざっぱりとした、「ま あ、こんなもんだろう。」想像していた通りで、山登る「山屋」としては満足なところだった。村は静かで本当にのどか で、早朝の散歩はきもちがよい。きれい な沢が流れてその水でニジマスを養殖しており、食事に出してくれた。

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■ 3 月31日

  約一年ぶりに「青龍峡」から西に伸び る「野長城」を 歩いてみた。ちょうど学校が「八達嶺長城」に連れて行く日の土曜日は雨で、行った留学生の話では、向こうは雪で危険なので結局登らないで帰って来ていた。 日曜は快晴になったので、雪があるかもしれない「青龍峡」でも登るか、と「東直門長途汽車站(バスセンター) 」に行ってみ る。三週間前に行った「八達嶺長城」に行く途中の 「居庸関長城」は、「八達嶺長城」と同じように外国観光客向けの作り物が、こわれたまま置かれつまらなかった。本当は前に行った「司馬台長城」に並んで連 なる「金山嶺長 城」や「古北口長城」に行きたいのだが、四月にならないと多くの長距離バスが走り始めない。それまで楽しみに待つことにしている。

  「青龍峡」の「野長城」に着いてみると、雪は日陰にわずかに残るだけで、山肌は自生する山桃や山梨の花がいっせいに咲き始 め、山の斜面がいちめん、ピ ンク色に 染まっている。紅色の山桃花,白色の山梨花のコントラストが実にきれいだ。山肌を 山 桃や山梨の花の香りが ただよい、そこはすっかり春一色になっていた

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■ 3 月19日

  構内に登山の参加メンバーを集める張 り紙が有ったの で、電話してみた。留学生でも良いか聞いたら構わないという。さっそく話を聞きに説明の場所に行ってみた。民族大の学生だけでなく、他の大学の学生も含め た「野人帮」という山登りのクラブで、もちろん中国人の学生だけで組織されている。今年になり春最初の山行だそうで、ア タックザックとシェラフも貸与して くれた。行き先は北京の郊外、北東に約100キロほどの山や渓谷の多い地帯で、北京市密雲県の密雲水庫という湖の北方だ。

  食事を各自用意し当日は、まだ暗い5時半に集合し「105路」のバスと「地下鉄」に乗り、他の大学のメンバー14人と「東直 門直途汽車站」で合流す る。民族大の11人とあわせ25人のパーティーとなった。現地での自己紹介の時に知ったのだが、南は雲南や四川省、江蘇省や福建省などの漢民族や少数民族 の集まりなので、なまりの有る普通話は、聞いていても難解の極み。やっと所々拾いつつ何とか話の中に入るが、先生の言う「実践の 听力の訓練」はこれかと、 先がちょっと不安になった。学生同士でもたまに聞き返しているので、少しは「何とかなるか!」と思うことに腹を決めた。
  京承高速を走った長途汽車980路を密雲で下車、たむろする軽ミニワゴン4台に、七人くらいずつ各々分乗する。各自のザック もあるのでギュウギュウ積 めだ。はじめ精霊谷の方面に向かうが、途中で地元の公安らしき人物に止められる。引き返し途中の「天門山」に入ることにする。日本での登山とはかなり違う 何でも有りの登山にも、半数近くいる女の子も平気なようす。各自の田舎は山も多いらしく歩き方も慣れている。 幕営地には午後2時半に着き、天幕を述べ9張 りほど張る
  凍った沢を登って氷の滝を見に行ったが、日の沈むのも速くて結局断念する。地面はかなり乾いているし、火を炊く薪には不自由 なくて乾燥し切っている。 たから日本と比べひろって来ても燃えがいい。途中で仕入れ各自分配し運んだビールは、凍りついた谷川の底の流れで冷え、実にうまかった。夜中はかなり冷え 込み、3シーズン用と思われるシェラフではかなり寒く、何度も目がさめる。その夜は、結局、朝方には氷点下まで下がり、そばの池 は再び凍りついていた。
  密雲には長途汽車站(長距離バスターミナル)があり、北京の「東直門」との間80キロには、高速道を所要時間1時間ちょっ と、頻繁に高速バスが走って いる。平行して各駅停車のバスもある。高速バスはリクライニングの観光バスタイプで便利で安い(片道15元=225円)。一年ちょっと前に乗った各駅停車 のバス(936路)はあの時は、たしか更に奥の青龍峡まで7元(105円)だった。



  山から帰った17日日曜夜8時過ぎには、チベットでの暴動で殺されたチベット族を追悼する抗議集会が、チベット族学生によっ て構内の中央広場で開かれ た。ロウソク を灯し座り込み死んだ人たちを追悼し、悲しみ静かに祈っている。約7,80人のチベット族の学生が広場の中央に静かに座ってロウソクの光が揺らめいてい る。留学生や学生達が各自カメラで撮影し始まり、公安警察もどんどん集まりだす。学校内には公安警察の車でいっぱいに埋め尽くさ れ、3ケ所の門は検問がき びしくされる。広場のまわりも黒いジャンバーの私服公安警察で取り囲まれ、中に近づけない状態になる。さらに撮影をしようとカメラ撮影した私を含む学生何 人かは、公安警察に一時身柄を拘束さ れ、その後解放された。参加したチベット族の学生の友人に聞いたところ、その後参加した学生に対して拘束などの大きな問題や影響はないようである。 「中国政府、共産党はチベット人はチベットの独 立を要求していると、外国など対外的に言っているが、そんなことは有り得ないし、問題はそんな所にない。仕事への差別や修学の差別や信仰の自由への介入や 賃金差別など、容認したままで別なところに大きな問題の要因があり、真の問題をすりかえている。」とチベット族の多くの学生 達は考えているようだ。 オ リンピックを 前にして、事を更に大きくさせたくない当局の思惑がいま働いているものと思われる。広場に引きつめている石板タイル上には、今もなお追悼集会で灯された赤 いロ ウソクがこびりつき残っている。いまも3ケ所の門は構内警備が厳しくチェックし部外者の立ち入りはまったくできない。外での買い物や銀行などへの外出 には学生証の携帯が必要である。学生証の携帯を 忘れた学生は中に入れず、中から迎えの来るのを待つ学生もいる。 構内のインターネットは完全に外部との接続が絶 たれていたが、アクセスの感じでは18日昼までには解除された。しかし、接続はされたようだが芳しくない。電話回線からの接続も遮断されているようで、 19日朝になってやっと接続が可能になった。
  中国政府が「何の思想性も持たない」そして「たかが子供向けのマンガ」と軽くみていた、その日本の漫画文化によって育っ た、若い学生達はいま色々な情 報を得て、多様化した価値観と自由な発想で行動している。チベット地域や新疆ウイグル地域などの彼等と知り合い、話してみると彼等も漫画文化の影響をう け、そして他民族間どうしの見方や特性、日本に居ては知ることのできない、実にいろいろな中国に内包した問題を直接感じるこ とができる。

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■ 3 月11日

  北京に来て速いもので3週間が過ぎ た。授業のために 最初にやった仕事は、宿舎に無線LANが設置されていたので、それに、持って来たIBM<X24>パソコンにLANをつなぐ事にした。「中関村」の電子商 城で「IP−LINK」のUSBユニットを180元(約270円)で買って来てつないだのだが、ドライバを入れ認識はす るのだが、肝心のファームウェアー のソフトがインストールできないでまいった。中国語版のせいかWindows2000のせいなのか、インストール画面でリスト選択のリストが表示されない のだ。「同学」の持っているWindowsXPでやってみると表示する。原因が不明で保留のままだ。

  次にやったのが、教材に付いているCD−ROMと、カセットテープをMP3にして、電子辞書でいつも携帯し聞けるようにして おくことだ。カセットテー プのアナログの音は、日本から持ってきた「Roland」のUSB接続型インターフェース「UA−1ex」でデジタルWAVで編集しWAVとMP3ファイ ルにした。WAVファイルのは変速再生「EasyPitch」ソフト用のためだ。中国ではまだまだカセットテープの教材が使われ ているのも多く、用意して 来てよかったと思った。
  中関村の西側のいつも行く「中関村図書大厦」に行ってみる。ちょうどカード会員向けに7折(3割引)セールをやっている最中 だった。会員になっている ので書籍でもCDやDVDも全て安くなる。だいぶ得した気分になって、必要な物をいろいろ買ってしまった。CDやDVDは10元(約150円)ぐらいから 有り、全国版汽車時刻表10元、最新の北京路線地図25元などを7折でかなり買ったのだが、100元ちょっとにしかならず、日本 円にして2000円にも至 らなかった。
  日本から持って来た、ガラスの端にヒビが入って割れた腕時計を、さっそく学校の中の修理店に持っていった。「即日では修理で きないが二,三日で出来 る」と言うので修理を頼んだ。8日間かかってやっと治って来た。ガラスはピカピカでやっと見られるようになった。なんと修理代を聞いたら10元だった。髪 の毛もちょっと伸びて白髪がさらに白く見えるので、学校の理容美容室に行ってきれいにする事にした。今回は洗髪込みで8元(約 120円)だった。

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■ 2 月27日

  新しい「 クラス分け表 」が決まった。世界各国26ケ 国から集まったというのは、はじめての経験だ。今までにない国の多さで、びっくりしている。クラスもレベルごとに10班に分けられた。その中で、やはり日 本人が一番多いが、それでも五分の一に満たない。月曜からはしっかり授業も始まり、作業(宿題)の多さと、予習と復習を しないと付いて行けない、進むス ピードの速さは相変わらず変わっていないようだ。ロシア語を話す留学生からロシア語を聞いたり、教えてもらいたい「腹積もり」もあるので、レベル的には 「ひとクラス」楽なレベルに落ち着く事にした。ロシア語で話し掛けると、笑顔でおどろいたように対応してくれるが、ロシ アの留学生より、カザフスタンやウ ズベキスタンからの留学生の方が当たりがいい。モンゴル系や他少数民族のロシア人は、そうでもないが、白系ロシア人はさめた感じで対応はクールで、話し掛 けずらい。あしたも「听写(聞き取りテスト)」があるので、今日はここまで。


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■ 2 月23日

 21日には班分けの為の試験「分班考 試」があった。 午前中 は筆記試験、午後は一人づつ口答試験があった。留学生は百人ほどいるだろうか。ロシア人、フランス人、日本人、モンゴル人、キルギスタン人、イタリア人、 ウズベキスタン人、カザフスタン人、韓国人そしてアメリカ人が人数も多く目立ったところ。筆 記試験が終わって午後まで待つ あいだ、日本人のMK 君とフラン ス人の新規のマンション型の宿舎に行った。ジィジィの居る宿舎とは大違いに広くてりっぱだ。しかし、あまりに広くきれい過ぎて、落ち着かないし好みではな い。狭くて古いのがどうも性に合っている。
 帰りの道すがらさそった、ロシア人のミスターJAPAN(日本で生活経験あり)がやって来て楽しい。すると 次々とフランス人のエレナや、 にぎやかなイタリア人の 子もあとからやって来て、にぎやかになった。エレナが切った野菜をMK君がいためて、出来たトマト味のパスタは実にうまかった。これから、彼等とのつきあ いは楽しくなりそうである。自炊とは!・・!・・ウムッ!??ジィジィには、とてもまねが出来そうにない。学食で3元や 5元はらって食べた方が、不精者の ジィジィには合っている。 24日(日曜)には分班 の結果が出て、新入学生の歓迎式、教材配布が行われ、25日から授業が 始まることになる。どんなメンバー分けができるだろ うか。日曜の休みなのに、どこにも行けそうにないようだ。

 孫の学校の習字で使う筆を買ってくる。 羊毛の筆を買っ てはみたが、考えてみると孫には「柔らかいかもしれないな」と思い、翌日は「藩家園旧貨市場」に筆を買いがてら、久々に出かけた。行くついでに長距離バス ターミナルをまわり、下見をして来る。北京市内には長距離バスターミナルが大小13ケ所有るが、先に書いた大都市行きの 多い「 趙公口長途客運汽車站 」の他 には、「東直門長途汽車站」や、やはり大都市行きが多い極大駅「 六里橋長途 汽車站 」はお進め。(その近くにある「蓮花長途汽車站」からは有名大都市へは行 くのが少ない) そして「天橋長途汽車站」や「永定門長途汽車站」などからも各地に出ている。


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2月20日

  北京に来てから今日も朝から忙しい。 ここ数日は毎日 のように、生活用具を買っ たり、相変わらず混んで待つ状態の銀行に両替のため通っている。きょうは「学費はいくらです」、翌日には「宿泊費がいくらです」と、言われ両替が間に合わ ない。合わせると100元札だと相当の厚さになるだろう。18日に買い物とATMに入れておく分を両替したら、学費と教 材の分が足りなくなり、また今 日は宿泊費の分を両替するというヘマをやってしまった。
 10年ぶり に手紙をくれ、消 息のわかったウ イグル族の女 の子から、夕方、電話が入り、「友達といっしょに行くから夕食をしよう」と誘われた。民族大学の辺りにあるウイグル料理の 店は、いつもいっぱいで、「裏の方にある知ってる店なら空いているかもしれない」と言うのでそこに行ってみた。その小じ んまりとした店で、10年ぶりの再 会を喜び合った。この春には結婚するんだと手紙に書いてあったが、相手は3年半のお付き合いのウイグル族の紳士だそうだ。あの時の女の子は、いや、彼女は もう30才を過ぎた、落ち着いた雰囲気の女性になっていたのだった。 時間がたつのは本当に速いものだとつくづく思う。この春の4月27日から5月1日まで、両方の家で式を催すと話してくれた。ジィジィは「お祝いでも上げな ければ」と思うのであった。
 彼女はある人材資源に関する研究所に勤め、メールに書いてくれてたように、いつも出張が多い仕事のようだ。 すぐまた一ヶ月ほど地方に出張 して3 月末に北京にもどるそうだ。もう一人の友人は日本の「三菱UFJ」に勤めていたが、家族から「外資はあぶないから、中国の銀行にしなさい」と言われ、最 近、転職したばかりだと言っていた。日本の企業も信用されてないみたいで実に面白く聞いてしまった。偶然に一方で別な中 国人の学生(日本語学科)のYUチ ンなどは、「こんど三菱UFGに決まりました」と喜んで電話して来るなど、両方の話を聞くと複雑な気持ちで、笑えてしまう。


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2月17日

  船 「燕京号」の出航スケジュールの変更で、いつもは金曜日に出航する「燕京号」に、2月14日(木曜)の4時ごろ乗船した。夜10時になって出 航した「燕京号」は、かなり遅いスピードで翌日15日(金曜)のお昼に 関門海峡を通過した。三晩目の夜を迎えた「燕京号」は、黄海から山東半島をまわり渤海湾に近づきつつあり、朝には中国移動通信の通信圏内に入るようにな る。「携帯電話」は通話可能な状態になったが、ジィジィの、「携帯電話」は「SIMカード認識エラー」でまったく使えずガック リ。(後記=後日分った事だ が、まる 一年使っていなかったせいで「SIMカード」の電話番号はキャンセルにされてしまっていた。3ケ月以上の通信未使用の場合にはキャンセルされ、再度、新し い番号の「SIMカード」を買う必要があるとのこと。)
 10時に着いても天津沖に停泊し午後の入港割り当ての時間まで待った「燕京号」は、午後2時になりやっと動き出す。3時過ぎに 接岸し、入国手続きを済ま せ出口から出たのは4時半ごろになっていた。
 汽車の塘沽駅から「4420次」の北京行きに「乗れるか!」と、天津港から歩いてすぐのバスターミナルから、「102号」 のバスで塘沽駅に行く。しかし、春節帰りで混雑しキップは当日はすべて「没有」でだめ。さっそく塘沽の「長途汽車站」から北京までの長距離バスに乗ること にする。
 長距離バスは、17時30分発で北京19時30分着(2時間)、50元(約750円)の乗車券、プラス傷害保険代1元(約15 円)。ほぼ時間どおりに北 京に着いた。着いたのは暗くて良く見えないが、どうも三環路の「 趙公口長途 客運汽車站 」のようだが、地下鉄駅が近くに有るか不明なので、白タクとでっかい 声でやりあい交渉し1リットルのガソリン代5元で最寄駅まで乗っけてもらう。なんと最寄りには新たにできた「地下鉄5号線」が走っていた。(後記=その駅 は南三環状線の劉家窟橋インターそばに出来た劉家窟駅だった) これに乗れ りゃ、あとは分けない。重い荷物をころがし乗り換えて、「西直門」からタクシーをひろい民族大学までワンメーターの10元だった。前と同じなので運賃は上 がってはいないようだ。
 地下鉄の階段と、その乗り換えの長いころがし荷物のために、「取っ手」も破損してしまう。「趙公口長途客運汽車站」付近には 「白タク」や「悪徳タク シー」がたむろして高額でボラレ安いので注意。
 「燕京号」で昼食のあと、ずっと何んにも食べていないので腹がすいている。宿舎のチェックを終えて、さっそく民族大学の裏門 (西門)から新疆の香り漂う 路地を行き、知っている「モンゴル料理 屋」に行ってみた。この店はとても安いし腹いっぱい食べられる。あまった分を発砲パックに入れてもらい、明日朝のために持ち帰った。

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■ 1 月5日

  新しく「中国留学日記」のページを、 2008年の更新を機会に ちょっと模様一新して見ました。最新版はこのページから書き始めることにします。


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