ジィジィの旅と山 行

       

中国の山旅(3)

最終 更新日 : 2017年4月9日

中国の山旅(4)

万里の 長城を歩く(11)

 <西水峪長城 〜撞道口長城 >    登山日:2009年5月16日(土曜)
  西水峪長城から昨年秋に歩いた撞道口長城まで縦走してみた。懐柔からのバスは朝の早 い時間しかない。北京から懐柔に入り、早朝8時には1時間半近くかかる西水峪までのバスを待つ。水長城から長城上に出る と果樹園の農道から登って来たグループと出会う。眼下に水長城のダム湖が望め、長城の展望は抜群である。長城近くまで果 樹園が広がっている。長城とは中国人の生活の糧にもなって来た場所で、彼らの畑や長城が有るかぎり必ずと言っていいほ ど、人の歩いた踏み跡道があちこち残る。
  途中に三分岐の楼台があり、北上するのと南下するのに長城が分かれる。やや東に向きつつ南下するのが撞道口長城であ る。9時半に水長城に入り12時に三分岐の楼台に着いたので、ちょっと腹を満たすことにする。14時の西水峪からのバス に乗れそうなので、早々に下山することにする。



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万里の 長城を歩く(10)

 <九谷口長城    登山日:2009年5月10日(日曜)
  青龍峡の西に延びる北斗峰長城と、国道111号線を挟み、西側の反対側に伸びるのが九谷口長城である。やはり明の時 代の長城で、使った石も軟弱なのが多いせいか、荒れ方も激しい。西の反対側の神堂峪長城の村まで連なっているのだが、衛 星写真での事前調査からはコースの難度は不明だ。地形的には、北斗峰長城と似ているところがあり、一部岩峰が自然の長城 要塞の役を果たすことも予測できた。北斗峰長城の時にも最初の時にコースを探すのに苦労した。
  行ってみて予想した通り、最高地点の尾根沿いは岩峰が3,4箇所、衛星写真からだと直線で1キロ弱続いているもよ う。6,7mほどの高さの垂直の岩に裂けたチムニーを真上に登り、上に出て見るが更に大きな岩と低樹林帯が続きコースが はっきりしない。草木に覆われた岩場のために踏み跡がはっきりしないのだ。2,3度コース探しをトライするが、結局探し きれずルートを戻ることにした。帰りは最後の楼台の横から北側にくだる踏み跡を、はっきり確認できたので、衛星写真での 確認の通り、それを下り懐北国際スキー場のゲレンデに下りた。次回は神堂峪長城側から攻めると何かつかめるかも知れな い。この野長城では一日人にはまったく会わなかった。
 

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万里の 長城のコ一ス調査を行う

  <庄戸村長城    登山日:2009年5月8日(金曜)〜5月9日(土曜)
  箭扣長城の北京結から西に伸びる野長城の下見をして来た。場所もよく分からないままたどり着いた村が、農家院の 人に聞いたら、なんと庄戸村だったのには驚いた。金曜の午後に出たので夕方の4時になってしまった。その農家院に泊ま る。北京結に最も近い最高地点の楼台まで、1時間半で登った。太陽も沈み始めるので、北京結までは登らず、あとの機会に 残すことにした。長城が夕日で赤く染まり、草木に埋もれた長城の眺めがすばらしい。庄戸村までの入り方の調査に大きな収 穫があった。村の老人の話などから、この庄戸村からは、九眼楼長城までの登るルートもあるようで、何人かの九眼楼に向か うグループにも出会った。延慶から入り四海を経て登るコースには、シーズン中料金所を通る必要があり、お金を取られる。 庄戸村の側にはそれが無いので免費だ。交通の便にも時間的に条件が良く、宿泊の農家院も多く、九眼楼長城に登るにも、箭 扣長城に登るにも、コース的に人も少なく自然の条件にも恵まれ、最高の条件がそろっていた。金土を使って来た甲斐があっ た。


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万里の 長城を歩く(9)

 <箭扣長城(2)>    登山日:2009年5月2日(土曜)
  翌朝は日が昇る時の野長城を見るため、日の出前に起き出し、蓮花池から突き上がる長城を、尾根まで登ってみる。向か い側の黒く長城の楼台がシルエットに見え、尾根が白み始め朝日が昇って来た。じつにきれいだ。
  前の晩にたのんでいた水餃子の半分を早々に食べ終え、残りを昼食用にパックにつめてもらう。農家院のご主人にたのん であった、近くの白タクをする知り合いがやって来る。西柵子の村までの料金を聞くと、100元だとふっかけて来た。片道 20キロまでは行かないが、くねくねと曲がる山道の登り下りがかなりあり、近い距離では確かに無い。往復で3,4リッ ター費うとして、ガソリン代は500円程度か。50元(約750円)にしろと強引に値切ると、若い男はすぐに折れた。車 は持っているが(親に買ってもらったようだ)仕事には付いていないと言う。
  西柵子村の入り口で入村料20元を払う。最近はどこの村でも入村料を取るところが多くなって来ている。時計の針が8 時を回るころには、以前、九眼楼長城から来た時に下った山道を逆に登り始める。帰りの西柵子村から懐柔までのバスの最終 は、昼の12時50分。中途半端な変な時間なので不便だ。それに間に合うように歩く必要があるのだ。面包車の白タクは懐 柔まで100元というのが、大体の相場だが、やはり安いバスを使いたい。
  長城の取り付き点までは村から45分、5張りほどのテントが長城の中に張られてあり、どうも幕営していたようだ。北 京結までの登りと、次の長城の向きが東に変わる楼台の登りには、ガレた急途の登攀を強いられる。落石が多いので先に人が 登っている時には、危険極まりない。30人ほどの中先行パーティがいる。その中の数人が安全帯やザイルの確保付きで登っ ており、それに時間がかかっているようだ。渋滞の状態でしばらく待つ。靴もキャラバン系のハイキングの様相である。ゴー ルデンウィークだけあって登山者も多い。山東省から来たというグループの中の一人と雑談をして時間をつぶす。運よく、そ の彼がリーダー役に話をつけ、先に登ることができた。別な西柵子村からの登り口と合流する地点で、長城は、最高点の楼台 から慕田峪のある東方向に向きを変え、急途の下りになる。この辺は西柵子村から一般の人でも最も登りやすい所で、箭扣長 城の主となる部分でもあり人も多い。少々いやな気分になってきた。慕田峪までのコースは別の機会に残し、バスに間に合う ように西柵子に走り下る。
  ところが、バスは出発予定の時間になっても登って来ない。パックに入った餃子を食べながらバスを待つ。やっと登って 来たバスは結局一時間遅れの2時に出発。さらに悪いことは重なるもの。途中の道路では行楽のマイカー事故が二箇所であ り、車の渋滞でまったく動かない。懐柔の長距離バスターミナルには4時過ぎにやっと着く始末であった。



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万 里の長城を歩く(8)

 <蓮花池長城    登山日:2009年5 月1日(金曜)
  北京の中心から北に約60キロ、懐柔区にある蓮花池と慕田峪長城の間に連な る野長城を歩いた。北京の東直門の長距離バスターミナルから、懐柔まで空調バスで高速道路を走り1時間半程度。 6元(約100円)ほどで運んでくれる。懐柔から蓮花池までは班車バスに乗り換えて、更に1時間ほどで着く。雲 行きがおかしくなり雨が降り出し、農家院に泊まることにした。部屋に落ち着き農家院の人と雑談をしていると、空 が明るくなり雨がやむ。さっそく農家院からも見える慕田峪長城まで続く野長城に向かう。慕田峪までは事前に衛星 写真から作った地図での予想に反し、高低さも少なく人がかなり歩くコースのようで、一時間半ほどで慕田峪の最南 端(旅客登攀禁止端)の楼閣に着いた。そこの三分岐からは更に南に長城が1キロほど伸びているが、先は自然の岩 場の様相になり長城は途絶えている。
  たどったコースを引き返し、蓮花池の農家院にもどる。はじめ行った時には他にお客はいなかったが、もどって 見るとマイカーが4台駐車してあり、北京から4家族の子供もいる12,3人のクループが来ていた。学生時代から の仲間だという事で、夕食後、酒をごちそうになり、夜遅くまで雑談の中に入って楽しんだ。彼らの中には警察や他 の政府機関の関係の仕事だったりで、やはりいい車に乗って来ていた。一人の趣味はお茶だそうで、農家院の庭に敷 いてある黒っぽい四角い石の一つを、目ざとく見つけ他に外に置いてあった、別の四角い御影石を持って来た。何を するかと思い見ていると、くだんの石をはがし取り交換するのだと言う。現在は長城の石は持って来るのは禁止され ている。敷いてあった黒い石は古い長城の石のようで、気に入ってお茶の敷台に使いたいそうだ。おとなしそうな年 老いた農家院の主人は、仕方なさそうな顔ではがし取り、御影石を何度も何度も端を角を削らされ、やっと合う大き さにし交換した。男は満足そうに「二千年前の秦代の長城の石だ!」と、友人と二人でその黒い長城の石を水で洗っ ていた。公私混同!警察や政府機関関係の人間には勝てない農民!
  




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最終更新日 : 2009年5月19日


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